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【株式会社のうか不動産】│時代に合わせた業態変更続けて42年。柔軟性と任せる精神で確立したテナント事業

「全国テナント.COM」加盟企業を巡るインタビューシリーズ第1弾。

1社目は石川県金沢市の「のうか不動産」を訪ねました。

加盟社インタビュー

時代に合わせた業態変更続けて42年。
柔軟性と任せる精神で
確立したテナント事業

のうか不動産
代表取締役 苗加充彦

  • 代表取締役社長

    苗加充彦さん

  • 常務取締役

    小﨑要介さん

  • チーフ

    小﨑隆弘さん

緑のかわいらしい「豆マーク」で知られる株式会社のうか不動産は、1978年の創業。
金沢大学を中心とした地元学生の部屋探しの第一人者で、苗加充彦社長は2代目社長として2008年に父信勝氏よりバトンを引き継ぎ、76名の社員のトップとして日々奮闘している。

  「全国テナント.com」
加盟当時
現在(2021年9月)
賃貸住宅の管理戸数 6,101戸 10,383戸
テナント仲介件数 約15件/年間 49件/年間
テナント管理戸数 47戸 190戸
仲介店舗数 2店舗 5店舗
社員数 40人 76人

特徴出すため始めた「学生専門店」

――1990年、21歳で、父・信勝氏が経営する苗加不動産(当時)に入社されたそうですね。

苗加社長:実は小学生の時の家業は、祖父母の代から続く靴屋でした。しかし、時代は流れ、百貨店の隆盛と共に客足は商店街から遠のくようになり…。靴屋稼業が厳しさを増していくのが目に見えていました。その頃、まだ若かった私の父は一念発起し、不動産会社に就職。2年修行したのちに、株式会社苗加不動産を設立したのです。売れ残った靴が在庫となって積み重なるのを目の当たりにしてきた経験から、「今度は在庫を持たない商売をしよう」と思ったそうです。そんな父の背中を見て育った私は、幼児心にも、いずれは長男として家業を継ぐものと考えていました。 1990年に、21歳で入社したわけですが、当時の社員は6人。父と母、姉に、パートさんが3人だけ。10畳ほどの狭い事務所で肩を寄せ合って仕事をしていました。
その頃、不動産会社というのは、家族経営が当たり前で、周囲を見渡しても同じようなところばかりでした。特に金沢では、縄張りのようなものがあり、競走がなかった。守られたエリアで地域に根ざし商売をする、という不文律のようなものがあったのです。

1978年創業当時の本社

1978年創業当時の本社(小立野付近)

――そうした状況に変化が生まれ始めたのはいつ頃ですか。

苗加社長:2000年頃から、金沢にも、アパマンショップやミニミニ、エイブルといった賃貸仲介フランチャイズが進出するようになり、市内の不動産会社が次々に加盟していきました。当然、こうした企業は縄張りなど関係ありません。大学生協の力も強くなり始めた頃で、「ちゃんとしないと自分たちの商圏を取られてしまう」という危機意識を持つようになりました。

2000年というとイチローがシアトル・マリナーズと契約し渡米した年、携帯電話とPHSの契約数が固定電話サービスの契約数を初めて抜いた年でもある。前年の1999年にアパマン・ショップが創業し、さらにその4年前からフランチャイズ事業を展開していたエイブルが、店舗網を拡大していた時期と重なる。
この当時の苗加社長の肩書は支店長。社員は10人に満たず、小さな店舗が1つあるだけだった。

苗加充彦

――大手フランチャイズの参入が相次ぐ中で、ここはやはり地元企業として奮起しなければならない、という気持ちになったわけですね。

苗加社長:「何か特徴を出さないかんな」と思い、学生に特化することを決めました。と言っても最初は、「学生専門店」という看板を出しただけ(笑)。ところが、徐々に忙しくなって、店舗拡張を決断します。ちょうど今本社がある山側環状線沿い、もりの里にいい事務所が見つかり、出店を決めました。ただ一気に10倍の広さになって、「こんなに広くなって本当にお客さんは来るのだろうか」と不安の方が大きかったです。

1985年頃の小立野店

1985年頃の小立野店

1994年の小立野店

1994年の小立野店。部屋探しの学生で列が
できた。

1995年頃のもりの里店

1995年頃のもりの里店。この後約10倍の
広さの事務所を構える。

しかし、この頃からのうか不動産の第二創業期ともいえる躍進がスタートしていく。
1998年に入社し、現在、常務取締役として苗加社長を支える小﨑要介さんの存在も大きかった。

企業ロゴに込めた思いは「マメなことをやろう」

小崎要介

小﨑さんとの出会いは劇的だった。
ある日の休日、苗加社長が海に遊びに行った時、砂にはまって動けなくなっている一台の車を発見した。後ろから車を押し助けた相手が、当時まだ18歳の小﨑青年だった。若者的な危なっかしさがあったが、快活さが印象的だった。後で聞けば、父・信勝さんが家を売った顧客の息子だったとわかる。
「うちで働かないか」
半年後、苗加社長は声をかけた。 会社のロゴマークをはじめとしたコーポレートアイデンティティの刷新も、のうか不動産成長の起爆剤になった。
2008年9月に専務取締役から代表取締役となった苗加社長が、一番最初に取り組んだ事業の一つだったと言える。

のうか不動産ロゴ
のうか不動産看板

苗加社長:当社の看板は、長い間、「苗加不動産」という昔ながらの漢字表記でした。店舗が拡大し、社員も増えていく中で、現代的なデザインをと考え、地元の広告代理店に相談しました。
その時担当したプロデューサーから提案され生まれたのが、豆のロゴマークです。
「のうか不動産は、学生さんに対してまめに仕事しているから、豆のマークにしましょう!」と言われて誕生。「せっかく豆のロゴマークができたのだから、それに負けないぐらいまめなことをやろう」という気持ちが、社員の中にも芽生えていったように思います。
「もっともっとマメな仕事を!」という思想が育つ中で「じゃあ何をしよう」となり、最初にスタートしたのが、マメバスでした。中古のバスを200~300万円で買ってきて、100万円かけてラッピングし、金沢大学の学生用に無料で走らせるようにしました。
そしたら本当に喜んでもらえて。「こっちのルートも増やして」という声も出て、今では3本走らせています。

マメバス
マメバス経路マップ

マメバスは、2011年に運行を開始した。
公道を走るバスの操業に際しては、地元の北陸鉄道や陸運局とも打ち合わせを行った。
運行に際しては、地元で圧倒的シェアを持つ北陸鉄道の走行ルート以外を走ること、バス停は管理物件の敷地内に配置することなど、様々な条件交渉が取り交わされ、半年の折衝期間を経て開業した。安全確認や運転手の手配など前例のない仕事に奔走したが、学生からの反響は想像を超えるものだった。今やマメバスは、朝と夕方、地元学生たちの大事な足となっている。

運行開始から6年後の2017年、今度は金沢大学から声がかかった。
「キャンパス間の移動手段としてマメバスを走らせてもらえないだろうか」本キャンパスと、徒歩で40~50分かかる位置にある医学部とを結びたいという要請だった。
のうか不動産は快くこれを引き受けた。そして学生からも大学からも費用をもらわない代わりに、大学構内に店を出すという権利を得たのだ。
現在、大学内の店舗は、入居者のアフターサービスを受け付ける窓口として稼働している。入居時の鍵渡しから、入居中の鍵の紛失、トイレ詰まりなど、わざわざ市内の店舗に行かずとも困ったことがあれば駆け込める暮らしの駆け込み寺として機能しているのだ。

のうか不動産 金沢大学キャンパス内店舗

念願だった金沢大学構内の店舗がオープン

新規事業で新たな柱を作りたい

――のうか不動産が「全国テナント.com」への加盟が決めたのは、ちょうどマメバスの運行が決まった年と重なります。その時のことを教えてください。

苗加社長:加盟のきっかけは、三好不動産の三好修社長に、「全国テナント.COM」を運営する株式会社ゼウスを紹介されたことです。それ以前は、時々お店にいらっしゃる「店舗を探しています」という方に対して、アパートの仲介営業社員が片手間に対応していました。「テナント専門の事業部を立ち上げた方がいい」と提案された時は、正直なところ半信半疑。確信は持てないまま、2012年11月に加盟しました。

小﨑常務:加盟の2年前、2010年に新本社屋が完成し、社員は25名程になっていました。
中堅クラスも育ち、学生向けの賃貸仲介やサービスに加えて、何か新しいことをやりたい、もう1本、事業の柱になることを作りたい、という気持ちが芽生えた頃だと記憶しています。その頃、金沢でテナントを専門とする部署を持つ企業はなく、社長からゼウス加盟の話があったときは、期待を感じましたが、同時に不安もありました。2015年の北陸新幹線金沢駅開業の3年も前のことで、今でこそ、繁華街が賑わい、有名企業がどんどん支店を出していますが、そんな街の劇的な変化を体験する以前のことだったんです。

その頃の店舗といえばロードサイドのアパート1階部分というのが中心。賃料は平均10万円以下で、飲食店、塾、リサイクルショップなど業態は様々だった。営業マンが片手間に案内し、「決まれば儲けもの、決まらなければそれまで」、というスタイルだったという。

のうか不動産看板

――「全国テナント.com」加盟後、まずしたことは?

小﨑常務:案内できる物件がないので、とにかく空いているテナント物件を調べ、ホームページに登録させてほしいと歩き回りました。
「まずは担当者1人の給料分は稼げ」と社長から言われていましたから、かかるであろう経費を洗い出し、給料と店舗の費用、販管費以上は稼げるようにしようという目標でスタートしました。初年度の目標金額は、400万円でした。

――新規事業ならではの困難もあったのでは?

小﨑常務:ゼウスの指導のもと、担当者が空きテナントを調べ、オーナー情報に到達というところまでは行き着くのです。
しかし、問題はそこからでした。すでに長年お世話になり、懇意にしている不動産会社が管理をしているわけですから、知識・経験・知名度のない新参者に任せるということはなかったんです。

小崎要介

空きテナントの多くは管理している不動産会社がいるため、2社以上の不動産会社が入って募集する、ということは前例のないことだった。無論、営業する側も手探りだ。
「どうアプローチをかければ募集をさせて貰えるのか?」「2階以上の住居は決められるが、1階のテナントはどう客付けをすればいいのか?」今でこそ解決できる課題ばかりだが、経験のない、のうか不動産社員にとっては、前に進みにくい時期が続いたと振り返る。

小﨑常務:ただ、他県の同時期にゼウスに加盟した企業が、どんどん管理戸数を増やす数字を月次の報告で見せられ…、焦りました。
笠社長に相談すると、「テナント事業は、仲介だけでなく、管理を増やすことを両輪でやっていかなければいけない」と言われました。それで気持ちが切り替わりました。結局のところ、管理をしていなければ家賃を決めることもできないわけで、前例があろうがなかろうが、とにかく「管理を増やす」という点にマインドを置こうと思えたのです。

しかし、それでも低迷期は数年に渡り続いた。
2013年頃から2018年は特に苦しい時期だった。
仲介の売上が作れず、当然それを担当する社員のやる気も上がらなかった。ただただ、目の前の案件をこなすような日々が続いていく。次第に社内でも「地方でのテナント事業はこんなものなのかな?」といった気持ちも生まれ始めていた。
実際、2017年度(2017年9月から18年6月)がテナント事業のどん底期だった。年間売り上げは目標に遠く満たない240万円程。
この頃、担当者の退職などもあり、賃貸営業部がテナント事業を兼任するなどの処置が行われたが、17年9月から5ヶ月間の売り上げは、17万円という散々な結果に。
改めて、今後の報告性について社内で話し合いが行われた。

テナント事業の推移

  ❶テナント事業
立ち上げた期
❷テナント仲介の
低迷期
❸新たな事業の柱になり得る事業の位置づけ期
時期 2012年11月〜 〜2018年4月 2018年5月〜現在
人員 1名 1名 1名
年間
売り上げ
初年度:1,309,475円 1,947,720円〜
3,216,852円
6,744,680円〜
17,844,011円
管理費 月/190,000円 月/400,000円 月/1,060,000円
物件登録数 53件 50件(一時、25件まで落ち込んだことも) 100〜120件
管理戸数 47戸 80戸 190戸
状況 特にテナント専門の部隊がいたわけではないが、問合せ自体はちらほらとあった状態。
ただ、専任者がいない状態の中、賃貸営業スタッフが対応するには知識がなく、紹介できる物件も無いため、テナント希望のお客様は煙たがられていたのが実態。
そこで「全国テナント.com」加盟を機に、専任担当者を設け、窓口の1本化を図った。
この当時の担当者は、賃貸営業では十分な数字を残しており、任せられると判断して任命。
物件調査を行い所有者までは判明するが募集させてもらえないことが頻発。
仲介の売り上げも作れず、売り上げは伸びないままに数年が経過。次第に担当者のやる気も削がれていく。社内には、半ば諦めムードも漂っていた。
2017年、担当者の退職に伴い、改めて今後のテナント事業の方向性について検討。
一度、テナント事業を賃貸営業部に任せてみようと判断。ただ、結果は散々で2017/9〜2018/1の5か月間の売り上げが17万円という事態に。
前任者の退職を機に、新担当として、小崎さんが着任。一から立て直しを図ることに。まずは募集物件を増やすべく、ゼウスから契約の進め方や営業手法などを学び、さらに北陸新幹線の開通も相まって、業績は順調に伸び始める。ようやく次世代を担う新事業と言える立ち位置に成長。2019年頃より、会社の柱として回り始める。

小﨑常務:実は加盟から3年ぐらい経ったころから「テナント 金沢」で検索すると、当社のホームページが上位に表示されるようになり、反響数も上がってきていたのです。しかし、せっかく上がっても定期的に新規募集物件を掲載し続けなければ下がります。維持するにはテナント事業をしっかり確立させることがとにかく大事だと痛感しました。そこで会社としてもう一度、この事業をどうしていくのか、確認し合ったのです。

厳しい期間に舐めた辛酸と今後への期待は、後を任せる後任の小﨑隆弘に紡がれていく。

「全国テナント.com」専門サイトの利用で、テナント探しの問い合わせ増加

転機となったのは、異なる部署にいた小﨑隆弘さんを担当者にしたことだった。小﨑さんは、北陸新幹線金沢駅が開業した2015年の入社だ。飲食店で接客業をしており、Uターンで金沢に戻った、異業種からの転職だった。入社後は、入居者からのクレームを担当するカスタマーサービス部に勤務してもらい、賃貸営業の経験がなかった。抜擢したのは、苗加社長だった。

小崎隆弘

苗加社長:エネルギーを持て余しているように見えたんです。前任者の退職もあり、いいタイミングだと思いました。小﨑には、「うちにはまだノウハウがないから、自由にやれ」とだけ言いました。

小﨑さん:営業経験が一切なかったので、自信は全くはありませんでした。でも、任されたからにはやれるだけやってみようと思いました。社長や常務からテナント事業に対する思いを聞かされたことも気持ちを奮起することにつながりました。ゼウスに加盟していることで、テナント専用サイトが使用できる状態だったので、まず私が取り組んだことは、募集掲載できる物件を増やすことでした。

問い合わせても募集をさせて貰えない、募集する物件の会社から「横取りするな」と怒りの電話、入居するテナントから漏水のクレーム等、次から次に問題が勃発するが、先入観のない小﨑さんは、「こういうものだ」と割り切れた。「自由にやればいい」苗加社長の言葉は有り難かったが、社内に相談できる経験者はいない、ということも意味していた。
このため困った時、小﨑さんはいつでも電話で相談できるゼウスのマンツーマン指導に駆け込んだ。そこから、小﨑さんの快進撃が始まった。

小崎隆弘

北陸新幹線金沢駅開業も後押しした。
じわじわとテナントニーズは増え始め、「テナント 金沢」でのヒット数は右肩上がりで上がっていく。HPへの登録物件数が徐々に増え、登録数が増えると問い合わせ数の増加につながった。成約になればそれが管理受託へつながり、次回以降は、家賃決めの決定権を握れることにもなる。そうすれば仲介手数料のアップにもなる。テナント事業が好循環で回り始めた。

毎月「全国テナント.com」本部に提出する月次報告書

毎月「全国テナント.com」本部に提出する
月次報告書

――テナント事業が軌道に乗る過程で、オーナーからの反響も変わりましたか?

苗加社長:もともと、管理している本社近隣にしかなかった看板が、あちこちで見られるようになり、「いろんなところで看板を見るよ」と言われるようになりました。「店舗の仲介・管理もやっているの?」と逆にオーナーさんから聞かれることも増えたと思います。

小﨑常務:オーナーさんに対する提案の幅が増えました。2階が住居で1階がテナントという、昔であれば避けていた物件でも、弊社であれば一元管理できると自信を持って言えるようになりました。賃貸管理を担当する社員と、テナント管理を担当する小﨑とが一緒に営業に行き、オーナーに対して建物の持つ収益性を説明します。社員の意識改革にも大いにつながったと思います。

小﨑さん:昨年、管理戸数が60戸ぐらい一気に増えたのですが、それは、そうした物件を数棟受注できた成果でした。
社長も言われましたが、看板の扱いは居住用とは異なり、管理をしていなくても「募集看板」を設置することができる点がテナント仲介の特徴のひとつです。お陰であちこちで見られるようになり、じわじわと認知を広げられていると思います。

――般賃貸とテナントでは同じ管理業であっても契約書の中身、オーナーとの交渉、建物の特性についての知識など異なる部分が多いと思うのですが、どのように勉強されてきましたか。

小﨑さん:ゼウスの笠社長はじめ、サポート担当の方々にすべて教えてもらいました。
配属されてすぐ、2泊3日の研修を受けました。実務は案件をこなしながら学びましたが、分からないところはその都度ゼウスに確認させてもらっています。

小崎隆弘 研修報告書

小﨑さん:テナントは1点ものが多く、物件の立地や特性・近隣の空き状況などにより、同じ物件でも賃料は異なります。相場観は参考程度に過ぎず、いかに需要と供給に合った物件をお探しし、お客様へ提案できるかが重要です。お客様は真剣に物件を探されており、しっかりと勉強し、経験を積んでいなければ見透かされるわけです。同じアパートの違う部屋を募集したことがあれば、ある程度説明ができる居住用の仲介とは大きく異なる点だと思います。

――これまでに大きなトラブルに遭ったことはありますか?

小﨑さん:会社に損害を与えるようなトラブルというのはありませんが、オーナー様やお客様に叱られてしまうことがあります。
一番多いのが、修繕の範囲のことで契約後に認識の違いから揉めてしまうこと。小さい店舗でも入居者の方は一国一城の主、経営者が多いですから、相応の知識量、ビジネスマナーがなければ務まらないと感じています。
今後、古い建物の建て替えや、土地の有効活用など、提案領域が広がっていくと契約書は精度が求められますし、関係する人も増えてくるでしょう。先を見越し、今のうちにスキルを高めておきたいと考えています。また、メンバーを2~3人体制しに、年間売上3000万円という次のステップにもチャレンジしたいと考えています。

テナント業務を通して街を元気に

――今後ゼウスに期待することはありますか。

小﨑さん:毎月月次報告書を作成し報告していますが、それをシステムで一元管理できるようになったらいいなと思います。
例えば、日々の問い合わせ件数や内容の精査、自分たちで集計を取ったり市場調査をしようと思っても、手が追い付かないところがあるので、そういった面をカバーしていただけると嬉しいです。

小﨑常務:全国に広がる、ゼウス加盟店が毎月様々な契約をされていて、それを各加盟店が見られるようになっているのですが、相互に顧客を送客できる仕組みがあればいいなと思います。例えば金沢発祥のお店が初めて長野県に出店する、またはその逆もある、そうした時に紹介し合える仕組みです。同じゼウスブランドを掲げる企業同士ですから、テナント企業からしても安心感があるのではと思います。

――これから「全国テナント.com」に加盟したい、または事業用に力を入れてい
きたい、と考える企業に、成功のアドバイスをお願いしたいです。

苗加社長:まあ、取りあえずやってみるということなんでしょうね。そしてやると決めたら任せる。中途半端だと社員が動けませんから、トップがまずはやると腹を括る、ことが大切なのかなと思います。
それと、「テナントに関しては、募集できる物件をまず増やすことが大切」ということを社内全体で認識することかと思います。

――今後テナント事業をどのように拡大していきたいか、思い描く未来像を教えて
ください。

小﨑常務:規模の大きな商業施設を取り扱えるようになりたいですね。
金沢は現在、地方都市として、いろいろなところで開発、区画整理が行われ、新しい町ができています。コンビニや飲食店、病院に向くような商圏でもあって新規出店しているテナントを見るとほとんどがドラッグストア。それを見るたびに、市区町村に対し、施設に関しては、「のうか不動産のテナント事業部に聞けばいい」と思われる存在にならねばと思います。
昨年、県下の主要都市である野々市市と小松市に店舗を構えましたので、地の利を活かし、いい空き店舗が見つかったらすぐに情報収集できる仕組みを作って、社内全体でテナント事業部をバックアップしていけたらと思います。

――路線バスを通してしまうぐらいの会社ですから、街も一緒に作れそうです。テナント事業という新しい柱ができ、会社としても一つステージを上げることができました。

苗加社長:バス路線を作ったことによって、人流や導線が変わり、路線上の地価が変わるような動きも生まれています。これは大きな経験であり、街を変えられるという実感でした。
今後、新たに路線を広げることによって、商業施設と学生街をつくるといったことにもチャレンジできたらいいですね。
やはり、のうか不動産にしかできないようなことをする会社にしたい。
実は最近、3階建てのビルを買って、学生や企業が交流できる場を作りました。うちの入居者さんであればご飯も食べられるし、バスも無料、おまけに就職もできてしまうというわけです(笑)
不動会社の概念にとらわれず、自分たちができることの領域を広げて、地域に喜ばれる会社になっていきたいと思います。

学生の「食」も守りたい!
入居者専用カフェ、本日も絶賛営業中!

のうか不動産の豆知識
のうか不動産 BEANS
のうか不動産 BEANS店内

ビーンズは、のうか不動産が運営する入居者専用のカフェ。朝と夜に営業し、コーヒー、ホットドック、トーストなどが100円で食べられる、学生のふところには有難い居場所だ。開業したのは、2011年。2017年には2店舗目もオープンしている。
きっかけを苗加社長は、こう振り返る。
「駅前のドーナツ屋さんや喫茶店で他のお客さんに気を遣いながら後ろめたそうに勉強している学生たちを見たんです。もっと堂々と勉強できる場を作ってあげたいと思ったのが最初でした」入居者専用カフェ、ビーンズでは何時間勉強していてもいい。そればかりか、友人をのうか不動産に紹介し、成約すると、卒業するまで飲み物、食べ物が紹介相手含めて無料になるという特典までついている。
現在では年間200件が、入居者からの紹介客となっているという。
最近では、「カフェの周りで空いている物件ないですか」という問い合わせもあるほどの人気ぶりだ。
まさに学生の暮らしをまるっと支えるのうか不動産の、不動産会社らしくない取り組みの一つと言える。

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